溢れ出す言葉の死

小学生から中学生の時脳みそにずっと言葉が溢れていた。ガンガンとなりわめくうろ覚えの歌のリピートや何度も読んだ小説の朗読はうるさすぎて嫌だった。

なのにこんなふうに文章を書くようになってみるとそれが羨ましく懐かしい。私の脳髄はいつの間にか枯れ果て、しわくちゃの老婆のように言葉の絞り汁すらも出ない。

その代わり得るものもあった。

自由とストレスからの解放である。

毎日10時間は眠り、今まで食べたこと無かった宅配のピザを食べ、やりたかった料理をし、気に入ったという理由で無駄なものを買う。

これは言葉が枯れても何にも変え難いものだな。

 

 

さっき夕寝してたら中学時代全然遊べなかったという理由で中学をもう一度行き直すという夢を見た。

夢の中の私はその後進路に迷って、キャバクラで働いてお金を貯めて大学に行く!と決意し、頑張っていて現実の私より偉かった。

夢の中で何故か私はド田舎の出身という設定だったのでよぼよぼのおじいちゃんと村にたった1人しかいない小さな女の子に目標を語っていた。

私の話をよく聞いてくれて私の目標を応援してくれる優しいおじいちゃんと女の子だった。