悲しいことって心が優しくないと悲しめなくないですか?
悲しいことを悲しいと言えるのは心に余裕がある時だけで心に余裕がなくてチクチクしていたら悲しい出来事はあっという間にムカつく出来事に変わってしまう。
待ち合わせしてた子が私の隣の子の化粧を褒めた時(私の化粧の方が手間が掛かっているとする)
お腹すいたと言う私の言葉を聞き流しながらフードコートを通り過ぎる時(その子はパンを6個食べているとする)
バスが混んでいるため別々に座らざるおえないのに固まって立っている時(私がその子に前の席が空いているとメールするも無視される)
動物園のゴリラが檻の中で暴れていることに深い悲しみを感じ取ってしまった時(彼女たちは大いに楽しみゴリラの異様な挙動を笑っている)
などなど、私はこんな悲しいことがあったけど乗り物酔いをしていて悲しめなかった。
それどころか馬鹿にされていると思い込み、イライラと相手を見下すことで溜飲を下げていた。
これくらい自己中心的な人間になった方がいいのかもしれない。
まだ分からない
私はまだ自分が分からない
今日だって心配事が夢に出てきてどうしようもなく不安だったけどどうにもならなくなったら死んでしまおうと思ったら楽になったのだ。
ナイーブな怠け者、悲しみの王様
何十年も食べてこなかった果物に手を出してみた。
パイナップルは美味しい、メロンは美味しくない、ヨーグルトは美味しい、みかんは美味しくない、シリアルは美味しい、トマトは好きじゃない、ナッツは美味しい。